恩を返す話


菊池寛 

小説家、劇作家。本名、菊池寛(ひろし)。明治21年12月26日~昭和23年3月6日。香川県高松市に生まれる。大正3年、京大英文科在学中に芥川龍之介らに勧誘され、第三次「新思潮」の同人となる。大正6年頃から本格的に執筆活動を開始し、大正7年に発表した「無名作家の日記」、「忠直卿行状記」によって文壇的地位を確立。芸術至上主義に対して、実生活の尊重と文学の社会化を主張し、「真珠夫人」(大正9)など、中上流階級の家庭を舞台とした通俗小説も多く執筆した。また、大正12年に雑誌「文芸春秋」創刊、大正15年に文芸家協会設立、昭和10年に芥川賞、直木賞設立など、編集出版や社会的活動においても目覚ましい成果を示し、文学の普及と発展に大きな功績を残した。昭和23年3月6日、狭心症により死去。享年59歳。代表作は「父帰る」、「無名作家の日記」、「忠直卿行状記」、「恩讐の彼方に」、「真珠夫人」など。

恩を返す話
 寛永十四年の夏は、九州一円に近年にない旱炎(かんえん)な日が続いた。その上にまた、夏が終りに近づいた頃、来る日も来る日も、西の空に落つる夕日が真紅の色に燃え立って、人心に不安な期待を、植えつけた。  
九月に入ると、肥州(ひしゅう)温泉(うんぜん)ヶ嶽(だけ)が、数日にわたって鳴動した。頂上の噴火口に投げ込まれた切支丹宗徒(きりしたんしゅうと)の怨念(おんねん)のなす業だという流言が、肥筑(ひちく)の人々を慄(おそ)れしめた。  
凶兆はなお続いた。十月の半ばになったある朝、人々は、庭前の梅や桜が時ならぬ蕾を持っているのを見た。  
十月の終りになって、これらの不安や恐怖のクライマックスがついに到来した。それは、いうまでもなく島原の切支丹宗徒の蜂起である。